なにせ私は日本人。
ナイジェリア人の姑は息子にナイジェリア人のしかもイボ族の女性と結婚して欲しかったらしい。お見合い結婚の話も盛り上がっていた時に日本人の彼女が出来た息子が理解出来なかった彼女、怒りのやり場がなかったのか私は息子を出産する1ヶ月前まで彼女に会わせてもらえなかった。というか旦那の住んでいるところも教えてもらえなかった。
これはかなり辛かった。当時結婚していなかったが妊娠していたため不安で不安で何度も泣いた。そしてやっと家に通してもらえた日。彼女に会って一言目に聞かれたこと。それは初めましてでもよろしくでもなく「お腹の子は本当に息子の子なのか?」だった。これには絶句。イ、イエス、、というのに精一杯。次の質問は「キリスト教か?」ノーと答えると「キリスト教になりなさい」と言われた。
これが出会い。
とにかく怖い!そして凄い迫力!!
私はいつも彼女を恐れていた。
最悪だったのは息子を出産後2日目の話。アメリカの病院は出産後大体48時間でどんなに出血していても強制退院させられる。1週間は運転しないように家事もしないようにと指示を受けた矢先、彼女からの電話。なんと「今仕事に連れて行って」と旦那に頼んできた。病院で新生児を抱え出血しながら歩こうとしたらもっと出血したので車いすに乗った時にそんな電話が掛かってきたのだ!その時は私も流石にキレた!!
「あなたは出産後間もない私と生まれたての赤ちゃんよりあなたのお母さんを選ぶの?どうして彼女のご主人は車を出せないの?タクシーは?」
と病院でヒステリックに泣き叫んでしまったのを生々しく覚えている。なんとか説得してもらい旦那はしぶしぶ?車で家に私と新生児を連れていってくれた。
そんな姑との戦争は続く、、、、。
母乳で育てたかった私。
彼女は粉ミルクで育てろと何度も言ってきた!
粉ミルク vs 母乳戦争が始まった。
旦那の実家に行く度に母乳を与えている私に文句を言ってくる彼女!粉ミルクをあげなさい!あなたは私の孫を飢え死にさせている!!と毎回怒鳴られた。
これはかなりストレスだった。私は母乳で育てたい、粉ミルクには抗体もないし栄養度も母乳に比べたら低い。母乳は育ちによって質も変化するから赤ちゃんにとってお腹が空く事はない。実際新生児の時は低脂肪乳の様な薄い白色だが赤ちゃんが大きくなると色も濃くなり生クリームのように濃厚になっていく。飢え死にすることはない。
後から知ったのだがこれはナイジェリアやアフリカでの観念で粉ミルクが買えないイコール貧乏!の象徴だそうで彼女の中では母乳の素晴らしさよりもナイジェリアンコミューにティーへの名誉そして貧乏だ!と思われたくないプライドのため私に粉ミルクにしろ!とプレッシャーをかけていたよう。この戦争には負けたくなかった!
そしてある日私が断固として粉ミルクを拒否し母乳をあげていると粉ミルクの事をなんとか諦めてくれた姑は私の授乳の仕方に文句を言ってきた!
そして文句を言うだけでなく突然私の横に座ったかと思うと鷲掴みに私の乳を掴み「授乳の仕方が全くなっていない!」といって乳首を息子の口に押し当てた。そして胸を横から掴みこみ「もっとこうやってするのよ!」となんとも違和感のある交流が続いた。
この話を最近ママ友ランチでしていたら夫がルワンダ人のママ友はルワンダ人の集まりで彼女は何人もの女性にああでもないこうでもないと授乳中の乳を掴まれもう好き勝手して下さいと両手を空にお手上げするしかなかったと言っていた。上には上がいるとはこの事。一緒にいたアメリカ人の友達はそれはもう”牛”ね、とコメントしていた。
私の誕生日での話。
この日の戦争は私が大好きな針治療を受け旦那が迎えに来てくれたときから始まった。
誕生日でロードアイランド州の私の大好きな海の街にいこう!と計画していたのに迎えにきた旦那は弟の大学の入寮の手伝いで一時間ほど北にある大学まで引っ越しを手伝えとお母さんに言われたと話してきた。た、誕生日なんですけど、、、。
もうキレすぎて涙もでてこない。旦那を実家に送ったあと悲しみながら一人で帰宅。泣いていると6時間後(もう海などいけない)姑、義理の妹そして旦那が家に来た。大人げなく泣いていた私をみてなぜかキレた彼女!「私が来たのに挨拶もろくに出来ずに泣いてるなんて無礼な!離婚しなさい!」と旦那に話し始めた!そして旦那もその様子をみてなぜかもう離婚だ!と靴の山を作り始める。(靴山に対しての詳細はこちらのリンクから)
なぜ私の誕生日に離婚なの!!ともう何だか分からなくなった。
そして息子を取り上げた旦那にヒステリックに泣いていた私をみて姑は「なんて恥ずかしいの!恥を知れ!」などと叫んでいた。仕舞には「あなたの誕生日は特別ではない!私が息子を生まなかったらあなたは息子と出逢えてないし結婚していないし孫も生まれていない。私がもし道で迷ったら長男が助けにこなかったら皆に笑われる!(皆とはアメリカにあるナイジェリアンコミュニティーの事)私のニーズが第一優先に決まってるでしょ!」と一喝された。
もうこうなったら天に身を任せるしかない。
その場で一人なんとか冷静だった旦那の双子の妹が私達の和解に努めてくれた。そしてよくよく靴山もなくなったころ姑は何もなかったようにハッピーバースデーといって100ドルの小切手をくれた!そして「お腹が空いて死にそう」と言いだしてどこでも良いからレストランに連れて行けとなり私は誕生日にお寿司を食べたいと旦那に言っていたのに近所のタイ料理屋にいく事に。そしてその後彼女の買い物に付き合い誕生日は終わった。
こんな関係に終止符を打つ日が来た。いや打たねばならない!
ある日私は考えた。
きっと私がもっとぶっ飛んで凄い事を彼女の為にしたら嫁姑問題も軽減するのではないかと気付き色々考えた結果彼女の家のフェンスの見栄えがあまり良くなかったので白いペンキを塗ってみたらどうか?と思いついた。我ながら名案?
もうこうなったら意地でも彼女との関係を良くするぞと奮い立たせてホームセンターに単独突入。今までフェンスのペンキ塗りなんてしたことなかったので何を買って良いかも分からない。とにかくお店の人に聞きまくりなんとかペンキ塗りの材料を買い揃えた。
そして格闘は炎天下の中始まる。
立ちはばかる高さ約2.2メートル、横幅10メートルほどのフェンスのペンキ塗りを始めた。汗がボトボト流れる中、涙よりはましだよ!と奮い立たせて白いペンキを塗り続けた。一体いつ終わるのか、、、。義理父にはやめろと何度も言われたがこれは自分との戦いですとは口に出さずに黙々とペンキを塗り続けた。
結果自分でもビックリするぐらいフェンスが真っ白に奇麗に仕上がった。
それを見た義理の両親はなんと「ビューティフル!!グッドジョブ!!」と大声で賞賛してくれたのだ。その瞬間嬉し涙と安心涙が心の中で溢れ出した。
やっとこの戦争に終止符が打てる!
その後なぜか私はナイジェリアンコミュニティーで有名になった。
ナイジェリア人に会うたびに「フェンスにペンキを塗ったんだって!素晴らしい行動だわ!」「あ〜〜あなたがフェンスのペンキ塗りね!」などとナイジェリアンパーティーでは声をかけられ「私の家のペンキ塗りもお願いできる」とも何度も頼まれた。勿論丁重にお断りしたが姑がどれだけペンキ塗りをした私の事を誇りに思っているかなどを沢山の方から言われ続けた。
後から知ったのだが私がペンキを塗っていたのを目撃した通行人から旦那の実家にフェンスにペンキを塗っていたペンキ塗りのアジア人女性はどこから雇ったのかと問い合わせもあったそう
ナイジェリア人女性の間ではペンキ塗りが出来る女性は前代未聞だったらしくまんまと名を売った私に姑は「今度パーティーがあるんだけど家の中の全ての壁のペンキ塗りもお願い!」と言ってきた!!
いやはや終止符を打ったのか新たな戦争が始まるのか。(汗)
その要望には丁重にノーと断言した。
ペンキ塗りのお陰?で今では姑とはなんとか上手くそして仲良くやっている
。助けてくれたホームセンターの従業員の方にも感謝を忘れずに。。(苦笑)
Wednesday, October 29, 2014
Friday, October 24, 2014
お札を投げつける激しいナイジェリンパーティーにて
恒例のナイジェリアンパーティーでの出来事。
土曜日の夜7時から始まる予定のナイジェリアンパーティー。
過去の苦い経験からして絶対時間通りに始まらないのと思ったのでパーティー会場までは車で30分くらい掛かるが今回は焦らずに夜7時頃帰宅。
ナイジェリアンパーティーの平均遅刻時間が3〜4時間なのでまあ余裕だろうとでも内心ちょっと大丈夫かなとヒヤヒヤしながら帰宅すると旦那はケロッと「お帰り!今からシャワー浴びるから」との一言。やっぱり余裕だ。(苦笑)
日本で夜7時にパーティーが始まるからと言われて夜7時にシャワーを浴びる人はあまりいないだろう。旦那の身支度が終わって会場に着いたのは夜10時頃。
すると、、、、、、、
やっぱりまだパーティーは始まっていなかった!!
あ〜〜今までの経験から本当に焦らなくて良かったと思った。やはり環境は人を育てる。3〜4時間遅れが丁度良い時間なんだと最近分かってきた。(汗)
今回のパーティーは女性に感謝するパーティーだそう。。
(なのに男性組は座ったままで何もしない!!)
この日のパーティーの準備?で旦那がした事。
それは靴を買う事!
そして買った靴をパーティーの後で返品する事。
凄い根性だ。
旦那のコメント、「青いシャツに青色が入った靴!完璧だ」そして買ってきた靴をみて「これは絶対返品された靴だ!だから使った後返品するのは当然だ!」と訳の分からないことを話していたのが印象的。感覚が全然違う。パーティーの為に靴はとても大切だそう。
そしてパーティーの当日旦那は仕事に行く前に銀行で50ドル(およそ5千円ほど)を全部パリッパリの新札1ドル札にして欲しいと小切手を渡してきた。
銀行にいって50ドルの小切手を銀行員に渡し
「全部一ドル冊にして下さい!そしてパリッパリの新札でお願いします!」
と頼むと「パリッパリの新札はありません」と言われた。その場で旦那の職場に電話すると旦那は怒って「なんだ!その銀行はおかしい!両替するな」と言っていた。
その後旦那は職場の近くの銀行にてパリッパリの新札をゲット。(なぜ私に頼むんだ!)
これで彼の中でナイジェリアンパーティーに行く準備は万端。
パーティー会場に到着するとまず凄い衣装の義理母がアフリカの太陽の様な笑顔で「よく来てくれたわね!!ありがとう!!」と大きなハグをしてくれた。
日本だったら3時間遅れてパーティーにきたらありがとう!と心から喜ぶ人は少ないと思う。ナイジェリアンタイムは生きていれば良し!ってのが根底なのかやっぱり寛大だ。
理解に苦しむ。とりあえずこちらも「ご招待ありがとうございます」と笑顔で答えておいた。
青とオレンジ色のまぶしい民族衣装の次に目に飛び込んできたのが数々のクーラーボックス!クーラーボックスって氷をいれたり飲み物を入れたりするがなんと凄い量のご飯が入っていた。大は小を兼ねる?
よく旦那が義理母はクーラーボックスに目がなく質が良いのを見つけるとすぐに買う、と言ってたのを思い出した。それはパーティーの為だった。これはかなり画期的。日本でもいつか流行るかもしれない。
配給されたパーティーでの食事。
そしていよいよ今回のメインの女性達が登場するのでDJがアナウンスを始めた。
このDJ、いつも思うのだが耳がめちゃくちゃ悪いのか物凄い爆音。
キーンというフィードバックも凄いし、耳の鼓膜が破れそうな爆音なのになんで皆笑顔なんだろう、、ナイジェリア人摩訶不思議。これは3歳の息子も耐えきれず耳をずっと押さえていた。私も仮耳栓をナプキンで作る。
鼓膜が破れそうな爆音にも負けずにきらびやかな衣装をまとった女性が大きく立派なお尻をこれでもかという程左右にフリフリゴージャースに登場。なかなかの迫力。
ここで日本の皆さんにはきっと理解できないコンセプトをお伝えしたい。
そして女性が登場し踊りが激しくなると会場に座っていた方々がお財布をもってやってくる!なにが始まるか!と思うとなんとお財布を開けて踊っている女性にお金を投げつけている。凄い量のドル札が床に溜まる。旦那も踊り狂う義理母にパリッパリの新札を投げつけていた。お金の投げ方も色々あってお札を次から次へと額につけてそれが床に落ちていったり胸の辺りに投げたり、、皆本当に誇らしそうに楽しそうにお金を投げつける。この感覚は日本人の私には理解できない。これはナイジェリアでは人間に対する最高の敬意だそう。
そしてこの床に落ちたお金の行方が気になる私。(あやしく写真を撮りまくる。)
するとなんと踊り終わった女性軍がホウキとチリトリとビニル袋を持って参上!!
そして掃き出した!!
ホウキで掃いたお金をチリトリに入れそれをビニル袋に上手に集金していた。
な、なんだこの儀式!!唖然と見守る私。。
この日私達は疲れて夜中の12時ぐらいに真のダンスパーティーが始まる前に退散したが義理の両親含め皆さんは朝方4時ぐらいまで踊っていたそう。やはりDNAが違う。
ボストンにいてもナイジェリアに行ったような感覚になる楽しい?パーティー。ちなみに日本人は私一人、というかアメリカなのにアメリカ人は一人も見当たらなかった。
きっとナイジェリアにわざわざ出向かなくてもこんな世界、文化を体験できてラッキーと思うべきなのか。。。(汗)
やっぱり国際結婚は飽きがこない。
土曜日の夜7時から始まる予定のナイジェリアンパーティー。
過去の苦い経験からして絶対時間通りに始まらないのと思ったのでパーティー会場までは車で30分くらい掛かるが今回は焦らずに夜7時頃帰宅。
ナイジェリアンパーティーの平均遅刻時間が3〜4時間なのでまあ余裕だろうとでも内心ちょっと大丈夫かなとヒヤヒヤしながら帰宅すると旦那はケロッと「お帰り!今からシャワー浴びるから」との一言。やっぱり余裕だ。(苦笑)
日本で夜7時にパーティーが始まるからと言われて夜7時にシャワーを浴びる人はあまりいないだろう。旦那の身支度が終わって会場に着いたのは夜10時頃。
すると、、、、、、、
やっぱりまだパーティーは始まっていなかった!!
あ〜〜今までの経験から本当に焦らなくて良かったと思った。やはり環境は人を育てる。3〜4時間遅れが丁度良い時間なんだと最近分かってきた。(汗)
今回のパーティーは女性に感謝するパーティーだそう。。
(なのに男性組は座ったままで何もしない!!)
この日のパーティーの準備?で旦那がした事。
それは靴を買う事!
そして買った靴をパーティーの後で返品する事。
凄い根性だ。
旦那のコメント、「青いシャツに青色が入った靴!完璧だ」そして買ってきた靴をみて「これは絶対返品された靴だ!だから使った後返品するのは当然だ!」と訳の分からないことを話していたのが印象的。感覚が全然違う。パーティーの為に靴はとても大切だそう。
そしてパーティーの当日旦那は仕事に行く前に銀行で50ドル(およそ5千円ほど)を全部パリッパリの新札1ドル札にして欲しいと小切手を渡してきた。
銀行にいって50ドルの小切手を銀行員に渡し
「全部一ドル冊にして下さい!そしてパリッパリの新札でお願いします!」
と頼むと「パリッパリの新札はありません」と言われた。その場で旦那の職場に電話すると旦那は怒って「なんだ!その銀行はおかしい!両替するな」と言っていた。
その後旦那は職場の近くの銀行にてパリッパリの新札をゲット。(なぜ私に頼むんだ!)
これで彼の中でナイジェリアンパーティーに行く準備は万端。
パーティー会場に到着するとまず凄い衣装の義理母がアフリカの太陽の様な笑顔で「よく来てくれたわね!!ありがとう!!」と大きなハグをしてくれた。
日本だったら3時間遅れてパーティーにきたらありがとう!と心から喜ぶ人は少ないと思う。ナイジェリアンタイムは生きていれば良し!ってのが根底なのかやっぱり寛大だ。
理解に苦しむ。とりあえずこちらも「ご招待ありがとうございます」と笑顔で答えておいた。
青とオレンジ色のまぶしい民族衣装の次に目に飛び込んできたのが数々のクーラーボックス!クーラーボックスって氷をいれたり飲み物を入れたりするがなんと凄い量のご飯が入っていた。大は小を兼ねる?
よく旦那が義理母はクーラーボックスに目がなく質が良いのを見つけるとすぐに買う、と言ってたのを思い出した。それはパーティーの為だった。これはかなり画期的。日本でもいつか流行るかもしれない。
配給されたパーティーでの食事。
そしていよいよ今回のメインの女性達が登場するのでDJがアナウンスを始めた。
このDJ、いつも思うのだが耳がめちゃくちゃ悪いのか物凄い爆音。
キーンというフィードバックも凄いし、耳の鼓膜が破れそうな爆音なのになんで皆笑顔なんだろう、、ナイジェリア人摩訶不思議。これは3歳の息子も耐えきれず耳をずっと押さえていた。私も仮耳栓をナプキンで作る。
鼓膜が破れそうな爆音にも負けずにきらびやかな衣装をまとった女性が大きく立派なお尻をこれでもかという程左右にフリフリゴージャースに登場。なかなかの迫力。
ここで日本の皆さんにはきっと理解できないコンセプトをお伝えしたい。
アフリカの”美”はお尻の大きさや太ももの太さでお尻が大きければ大きいほどセクシー、足も太いとセクシー!ガリガリに痩せていると魅力がない!貧乏だ!と見下されたりするのが基準。日本とは正反対だ。1キロダイエットなんてタブー。ナイジェリアではそれは美のコンセプトに反している。
そういえば千葉に住むコンゴ人の友人が私の日本人の友達に「わ〜君セクシーな大根足ですね!」と流暢な?日本語で褒言葉を何度も言っていたのを思い出した。その友達は内心とても傷ついていたし私もなんて失礼な!と怒りを覚えたが今考えるとそれは物差しの違いであり彼には全く悪気はなかったと思えるようになった。
ナイジェリア人もそう。大きいお尻は富の塊。幸運が訪れる大きなお尻。それを自信を持ってフリフリするのはやはり当然の事なんだろう。
やっぱり感覚が全然違う。
やっぱり感覚が全然違う。
登場した女性陣!頭につけているヘッドタイだけでなくそのオープンで自信に満ちた態度。やはり全てが桁違いだ。圧倒される。
そして女性が登場し踊りが激しくなると会場に座っていた方々がお財布をもってやってくる!なにが始まるか!と思うとなんとお財布を開けて踊っている女性にお金を投げつけている。凄い量のドル札が床に溜まる。旦那も踊り狂う義理母にパリッパリの新札を投げつけていた。お金の投げ方も色々あってお札を次から次へと額につけてそれが床に落ちていったり胸の辺りに投げたり、、皆本当に誇らしそうに楽しそうにお金を投げつける。この感覚は日本人の私には理解できない。これはナイジェリアでは人間に対する最高の敬意だそう。
そしてこの床に落ちたお金の行方が気になる私。(あやしく写真を撮りまくる。)
するとなんと踊り終わった女性軍がホウキとチリトリとビニル袋を持って参上!!
そして掃き出した!!
ホウキで掃いたお金をチリトリに入れそれをビニル袋に上手に集金していた。
な、なんだこの儀式!!唖然と見守る私。。
この日私達は疲れて夜中の12時ぐらいに真のダンスパーティーが始まる前に退散したが義理の両親含め皆さんは朝方4時ぐらいまで踊っていたそう。やはりDNAが違う。
ボストンにいてもナイジェリアに行ったような感覚になる楽しい?パーティー。ちなみに日本人は私一人、というかアメリカなのにアメリカ人は一人も見当たらなかった。
きっとナイジェリアにわざわざ出向かなくてもこんな世界、文化を体験できてラッキーと思うべきなのか。。。(汗)
やっぱり国際結婚は飽きがこない。
Saturday, October 11, 2014
ナイジェリア人の妻修行 〜ヤギ狩りとヤギ頭スープ〜
先日幼稚園のリンゴ狩りがヤギ狩りになった話の続編。
遠足の日に現金を持ち合わせていなかった為その一週間後に義理母からのリクエストで家族と共にヤギ狩りへ。
まずその日の朝きっとお母さんは来ると曖昧な旦那の返事にイライラ。
計画性マイナス10ぐらいの家族。来ると言ってもこない日が多いのであまりあてにしない。義理母の家と私達の家は車で30−40分程。旦那はお母さん9時に来るからと言ってたけど信じなかった私の正解。昼過ぎ12:30頃に到着。(ヤギの為に)
義理母はめったに私達の家に訪問しない。遠いから、仕事が忙しいからなどの理由。
しかしヤギに目がない義理母。ヤギ!といったら本当にすぐに行動に出てびっくり。
私はヤギ狩りが出来るところを見つけた!と言わないと訪問してくれないんですね?と伝えると、訪問したでしょ!!と返される。心の中で「はい、およそ一年前に」
と呟いた。やっぱりないジェリンタイムだ。(汗)
ここから30分ほど離れているマサチューセッツ州のランカスターという所までいざヤギ狩りへ。まずオーナーのマニーにヤギを下さいと注文に行くと既に他の顧客から注文があった巨大な牛一頭の二本の後ろ足が天井から鉄の鎖で吊る下げられ逆さになって舌がベロンと出ている凄い光景が待ち受けていた。マニーは牛の毛皮を凄い勢いで巨大ガスバーナーで焼く作業中。15分ぐらい待ってくれと言われた。3歳の息子はそれをみてかなりトラウマになった様子。
牛の処理が終わったマニーと一緒にヤギを選びに行く。
このヤギはちょっと小ぶりだったのでその日の夕食に選ばれなかった。
これはラム。ラムには興味はないそう。
義理母は脂肪のない若くて身の引き締まったヤギを探している。そして彼女が気に入ったヤギをオーナーのマニーに伝えた。
抵抗するヤギのお尻をたたいたり角を掴んだりしてヤギを連れて行く様子。ヤギは相当泣いていた。3歳児の息子はもう耐えられないようで私にずっと抱きついて「お母さん、ヤギいやだって!悲しいって!」と叫んでいる。。胸が痛い。。
そしてここから先は写真撮影禁止なので文面でしか説明できないが私はトイレを借りたかったのでマニーさんにどこかと聞くと現場のまっただ中に通された。殺されたばかりの牛、ラム、そしてまだ生きているヤギを掻き分けて命がけ?でトイレへ。
トイレに行く道中先ほど殺され毛皮を焼かれ皮を剥がされた牛のお腹をスタッフが巨大ナイフで切った!ドボドボと音を立てて物凄い勢いで溢れ出てきた長い長い腸と内蔵を踏まないように血を踏みながら切り取られた牛の頭とラムの頭を横目にしなんとかトイレに辿り着いた。物凄い生臭い匂い。こんな匂いは初体験だった。過酷なトイレへの道。。
そしてトイレに入ると電動ノコギリで選んだヤギの首が切られた音がした。。
トイレから出ると命果てたヤギの毛皮を早速ガスバーナーで焼き始めた。
説明しがたい匂いとその状況に吐き気がしたがなんとかこらえる。
そう!これもナイジェリア人の妻修行。
こんなところで吐いたり愚痴を言ったら絶対に義理母に嫌われる!
出来るだけ平静を保って笑顔で彼女との会話に努めなんとかその場をやりくりする。
マニーとスタッフがヤギを切り捌くのを待っておよそ1時間程。
旦那が呼ばれ手押し車でヤギ肉を持ってきた!これにもビックリ。
車のトランクにヤギ肉を乗せる。かなり重い。これにも一苦労。
この時点で息子は英語で I don't wanna eat GOAT! (ヤギは食べたくない!)と叫んでいる。打って変わって義理母は大変満足そう。脂肪が少なくて良い肉だ!ととても喜んでいたのが印象的。そして小さいビニル袋に入っているのがヤギ頭。。。これにも彼女は大変満足そうだった。この日購入したヤギ一頭は320ドル。(3万円程)でも相当な量なのでお店で買うよりはお買い得?そして冷凍も冷蔵もされていないので新鮮度は抜群?
この日の夕食は家族が待ちに待った “ンゴンゴ” ヤギ頭スープだった。ナイジェリアでスープというとのは日本でいうお味噌汁のようにサラサラしているのものではなくカレーのようなドロドロしたもの。この感覚にも最初はちょっと戸惑った。
帰宅後義理母はヤギの脳みそから頭の全てを上手に解体し色んなスパイスをいれて3−4時間ほどヤギ頭を煮込んでいた。
そして数時間後に出来たンゴンゴ。
旦那は大好物が食べられて本当に幸せそうにしていた。
日本では嫁入り修行や妻修行で料理教室に通ったりすると思うがナイジェリア人の嫁入り修行、妻修行はまずヤギでも牛でも自分で買いにいってどんなグロテスクな光景も凛として受け入れ家族に大好物を与えるといった過酷な道だ。今回ヤギ狩りに初めて同行した事で嫁としての信頼度が増したのか義理母はとても喜んでくれていた。
この体験で一つ身にしみて思ったこと。私は去年からお肉は食べていないがそれまではお肉は沢山食べてきた。お店にいって簡単に買えるお肉。マニー牧場のトイレへの道中が頭をよぎりもう二度とただお店に並んでいるお肉!なんて思えないだろう。
小学校や中学校の遠足、課外授業などで皆がこういう体験をしたら飽食なんて絶対しないだろうしキチンと心を込めて”いただきます”と言えるようになると思う。日々精進。
遠足の日に現金を持ち合わせていなかった為その一週間後に義理母からのリクエストで家族と共にヤギ狩りへ。
まずその日の朝きっとお母さんは来ると曖昧な旦那の返事にイライラ。
計画性マイナス10ぐらいの家族。来ると言ってもこない日が多いのであまりあてにしない。義理母の家と私達の家は車で30−40分程。旦那はお母さん9時に来るからと言ってたけど信じなかった私の正解。昼過ぎ12:30頃に到着。(ヤギの為に)
義理母はめったに私達の家に訪問しない。遠いから、仕事が忙しいからなどの理由。
しかしヤギに目がない義理母。ヤギ!といったら本当にすぐに行動に出てびっくり。
私はヤギ狩りが出来るところを見つけた!と言わないと訪問してくれないんですね?と伝えると、訪問したでしょ!!と返される。心の中で「はい、およそ一年前に」
と呟いた。やっぱりないジェリンタイムだ。(汗)
ここから30分ほど離れているマサチューセッツ州のランカスターという所までいざヤギ狩りへ。まずオーナーのマニーにヤギを下さいと注文に行くと既に他の顧客から注文があった巨大な牛一頭の二本の後ろ足が天井から鉄の鎖で吊る下げられ逆さになって舌がベロンと出ている凄い光景が待ち受けていた。マニーは牛の毛皮を凄い勢いで巨大ガスバーナーで焼く作業中。15分ぐらい待ってくれと言われた。3歳の息子はそれをみてかなりトラウマになった様子。
写真は左から旦那、義理母、タイ人の友達、義理の弟(筋肉ムキムキ)
このヤギはちょっと小ぶりだったのでその日の夕食に選ばれなかった。
これはラム。ラムには興味はないそう。
義理母は脂肪のない若くて身の引き締まったヤギを探している。そして彼女が気に入ったヤギをオーナーのマニーに伝えた。
マニーは首に縄をかけ旦那とタイ人の友達に手伝ってくれと言ってきた!
旦那は嫌だと抵抗するが義理母に一喝され渋々ヤギを押さえたり引っぱったりしていた。
抵抗するヤギのお尻をたたいたり角を掴んだりしてヤギを連れて行く様子。ヤギは相当泣いていた。3歳児の息子はもう耐えられないようで私にずっと抱きついて「お母さん、ヤギいやだって!悲しいって!」と叫んでいる。。胸が痛い。。
そしてここから先は写真撮影禁止なので文面でしか説明できないが私はトイレを借りたかったのでマニーさんにどこかと聞くと現場のまっただ中に通された。殺されたばかりの牛、ラム、そしてまだ生きているヤギを掻き分けて命がけ?でトイレへ。
トイレに行く道中先ほど殺され毛皮を焼かれ皮を剥がされた牛のお腹をスタッフが巨大ナイフで切った!ドボドボと音を立てて物凄い勢いで溢れ出てきた長い長い腸と内蔵を踏まないように血を踏みながら切り取られた牛の頭とラムの頭を横目にしなんとかトイレに辿り着いた。物凄い生臭い匂い。こんな匂いは初体験だった。過酷なトイレへの道。。
そしてトイレに入ると電動ノコギリで選んだヤギの首が切られた音がした。。
トイレから出ると命果てたヤギの毛皮を早速ガスバーナーで焼き始めた。
説明しがたい匂いとその状況に吐き気がしたがなんとかこらえる。
そう!これもナイジェリア人の妻修行。
こんなところで吐いたり愚痴を言ったら絶対に義理母に嫌われる!
出来るだけ平静を保って笑顔で彼女との会話に努めなんとかその場をやりくりする。
マニーとスタッフがヤギを切り捌くのを待っておよそ1時間程。
旦那が呼ばれ手押し車でヤギ肉を持ってきた!これにもビックリ。
車のトランクにヤギ肉を乗せる。かなり重い。これにも一苦労。
この時点で息子は英語で I don't wanna eat GOAT! (ヤギは食べたくない!)と叫んでいる。打って変わって義理母は大変満足そう。脂肪が少なくて良い肉だ!ととても喜んでいたのが印象的。そして小さいビニル袋に入っているのがヤギ頭。。。これにも彼女は大変満足そうだった。この日購入したヤギ一頭は320ドル。(3万円程)でも相当な量なのでお店で買うよりはお買い得?そして冷凍も冷蔵もされていないので新鮮度は抜群?
この日の夕食は家族が待ちに待った “ンゴンゴ” ヤギ頭スープだった。ナイジェリアでスープというとのは日本でいうお味噌汁のようにサラサラしているのものではなくカレーのようなドロドロしたもの。この感覚にも最初はちょっと戸惑った。
帰宅後義理母はヤギの脳みそから頭の全てを上手に解体し色んなスパイスをいれて3−4時間ほどヤギ頭を煮込んでいた。
そして数時間後に出来たンゴンゴ。
旦那は大好物が食べられて本当に幸せそうにしていた。
日本では嫁入り修行や妻修行で料理教室に通ったりすると思うがナイジェリア人の嫁入り修行、妻修行はまずヤギでも牛でも自分で買いにいってどんなグロテスクな光景も凛として受け入れ家族に大好物を与えるといった過酷な道だ。今回ヤギ狩りに初めて同行した事で嫁としての信頼度が増したのか義理母はとても喜んでくれていた。
この体験で一つ身にしみて思ったこと。私は去年からお肉は食べていないがそれまではお肉は沢山食べてきた。お店にいって簡単に買えるお肉。マニー牧場のトイレへの道中が頭をよぎりもう二度とただお店に並んでいるお肉!なんて思えないだろう。
小学校や中学校の遠足、課外授業などで皆がこういう体験をしたら飽食なんて絶対しないだろうしキチンと心を込めて”いただきます”と言えるようになると思う。日々精進。
Sunday, October 5, 2014
リンゴ狩りからヤギ狩りへ
息子の幼稚園の遠足で近くの可愛らしい農場へリンゴ狩りに行った。
旦那は週末仕事で平日2日の休日があるので遠足に同伴。
旦那はリンゴ狩り人生初めてで息子よりはしゃいでいた。
まず幼稚園児待ち合わせ場所でお店を見つけた旦那!団体行動が苦手な彼は早速一人でお店の中に入りドーナツを購入。待ち合わせ時間に一人でパクパク。6個のドーナツをこれは美味しすぎる!といって一気に平らげた。
リンゴ狩りには付き物のヘイライド!これは藁の椅子?をトラクターに積んでそこに座ってリンゴの木がある場所まで移動。
ガタゴトゆっくり幼稚園児と両親がギュウギュウ詰めになってトラクターは進む。
リンゴの森?に到着すると幼稚園児達はキラキラ笑いながらリンゴを見つけ袋に詰めていた。
そんな中旦那は一番大きなリンゴを見つけるんだと張り切って高い身長を上手に使いこなし本当に大きいリンゴをもぎ取って食べていた。
そして帰りのヘイライド(藁椅子トラクター)にて。。。
トラクターの運転手から帰り道には色んな動物が見られます。
ヤギ、ラマ、鶏など皆さん注意して見ましょう、とのアナウンスがあった。
お母さん同伴が殆どだが今回旦那ともう一人お父さんの同伴があった。彼は控えめであまり他の親と交流せず言語も何語か全く聞き取れなかったのでシャイな方だなと観察していた。打って変わってトラクターに乗りながらお母様方と仲良く社交的に会話をしながらニコニコしていた旦那の目が突然光った!
ヤギを見つけたのだ!
「ヤギだ!あれは売り物か?いくらだ?今日の夕飯だ!」と叫んだ旦那。
平和だった幼稚園の遠足が一気にシーンとした!そして幼稚園の先生もビックリした様子でヤギをみながら、あれは売り物ではありません、、と苦笑い。。
そのシーンと静まり返った空気の流れを変えたのがなんと今まで一言も喋らなかったもう一人のお父さん!!!
「ここから15分ぐらい行ったところでヤギが買えるぞ。」と開口した。
周りの親もビックリ!!静寂度がアップする。。。(汗)
そして旦那は瞬発的に レッツゴー!と叫んだ。
もう他の両親も先生もなんとか会話を変えようと必死。私も幼稚園の可愛らしいリンゴ狩りの遠足でこんな冷や汗をかくとは予想もしていなかった。。
盛り上がっている二人の父親。教えてくれた彼はモロッコ出身。旦那はナイジェリアとモロッコはご近所さんだから(めっちゃ遠いけど)といってかなり喜んでいる。
(無口だったお父さんが突然情熱的にヤギ狩りについて話してくれている様子)
誰よりも早く遠足から退散しモロッコ人のお父さんと一緒に、、、
な、な、なぜかヤギ狩りに行く事に。。。
な、な、なぜかヤギ狩りに行く事に。。。
凄い展開だ。。。
リンゴ農場から車で15分ぐらいしたところに登場した場所。
なんとマニーの牧場と公には書いてあるが(ホームーページでも)それは全く嘘!!!
牛乳もチーズも売っている気配は全くない。
なんとマニーの牧場と公には書いてあるが(ホームーページでも)それは全く嘘!!!
牛乳もチーズも売っている気配は全くない。
そこにはヤギ、羊、牛、豚、鶏、七面鳥など沢山の種類の動物がいた。
モロッコ人の父は「ここには12年間通っている。本当に素晴らしい」と絶賛している。
旦那のテンションはマックス!!
ここでビックリするのは買い手が選んだヤギをお店?の人がその場で首を刀で切り血抜きしてからガスバーナーで毛皮を焼く。到着した時は金網で出来たベッドに数分前に殺されたヤギが二匹ガスバーナーで焼かれていた。
その光景はグロテスクで3歳児の息子とモロッコ人の父の子はかなりショックを受けた様子。息子はこの後ずっと「お母さん、ヤギが可哀想、いやだって、悲しいって、焼かれて死んじゃったって」と落ちこんでいた。。息子にはだからお肉を食べるときや他の食べ物を食べるときにはキチンと「いただきます!!」と心を込めて言うのよ、と伝えた。
私もこんな衝撃的な光景は初めて見た。
後々旦那になぜガスバーナーで毛皮を焼いて中の肉が調理されないのか?と聞いたらブラジル人が脱毛するときに口にガソリンをいれて火を足に吹いた後パッと手で叩くとスッと奇麗に脱毛が出来るのと同じ原理だよ!と訳の分からない説明を受けた。。。。
ヤギは大きさによって一頭60ドルから120ドル(現金のみ)ぐらいで買えるそう。
そしてヤギ頭は無料。このニュースを聞いた旦那は物凄く興奮した。
そしてヤギ頭は無料。このニュースを聞いた旦那は物凄く興奮した。
ナイジェリア恒例料理に ”ンゴンゴ” というスープがありそれにはヤギの脳みそと足が必要。私も試食したことがあるがンゴンゴは相当苦くて辛くて固い!!ナイジェリアでは高級料理だそうでヤギ頭が無料で頂けるとは本当にありがたい!と喜んでいた。
義理母と旦那はいつもロードアイランド州までヤギ狩りに行くので今回リンゴ狩りに行ったお陰?でマサチューセッツ州でヤギ狩りが出来る場所を見つけて本当に幸せそう。
早速義理母に連絡すると
”いつ私をそこへ連れていってくれるの”との返事。
彼女は本当に喜んでいた。
無口だったモロッコ人のお父さんのお陰だ。ありがとう!
旦那にもし義理母が道端でヤギを見つけたらどうなるの?と聞いたら。。
エンド オブ ライフ!! (命の終わり)と断言。
英語の綴りを説明するのにAはApple(リンゴ) のAなどと説明するのだが義理母はなぜか電話で G はGoat(ヤギ)のGといつも説明しているのが印象的。
お陰さまで?大変思い出深い幼稚園の遠足となった。
国際結婚は本当に飽きない。。
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